基本理念

働きのハートバリュー(中心的な価値観) すべての国と町へ

TUV/BINDプロジェクトは、国際スポーツミニストリーネットワーク「ReadySetGO (readysetgo.ec)」の中で共有するハートバリュー(中心的な価値観)に賛同し、本プロジェクトの価値観として活動しています。

ビジョンと使命

2千年前、イエス様の大宣教命令から、御国の拡大と教会の成長が始まりました。このすばらしい宣教の使命は、栄光と勝利に満ちたイエス様が再臨する時まで終わることはありません。聖書が言うように、私たちには世界の人々に神様の愛を伝える役割があるのです。
スポーツ宣教の働きにおいて、福音とスポーツへの情熱が私たちを一つにします。そして私たちは、多くの人々、教会、団体と協力して働くのです。
この働きのビジョンは、次のようなことです。
「スポーツを通して、全世界でキリストの弟子を育てる」
これは、互いに愛し合い、祈り合い、共に働き、仕えることで成し遂げられます。私たちはチームとして、次の使命を持って、主イエス・キリストに従うことを望んでいます。
「スポーツを通して御国に仕えるため、パートナーとなる」
この使命を成し遂げるには、常に祈りは欠かせません。そして良きわざは、ただ神様のあわれみと聖霊によってなされることをわきまえる必要があります。イエス様がそうであられたように、一緒の時も、一人の時も、天の父と多くの時間を過ごすことが大切です。
スポーツを通して神様に仕えることで、世界中に御国を建て上げるというすばらしい恩恵があります。大宣教命令に基づき、私たちの次のステージは、すべての国や町に、これを広げていくことです。
以下は、この働きの「使命からビジョン」の流れを示した表です。

SnapCrab_NoName_2016-5-26_16-51-43_No-00

私たちは、地域教会が成長するために仕えます。全世界はキリストのからだであり、地域教会は、その各部分だからです。そして、すべての町、コミュニティー、家族そして人々がイエス様の福音に触れ、弟子とされる機会を提供したいと願っています。ただ単に、スポーツのプログラムや戦略を届けるのではありません。御国の福音をあらゆる国や町に伝えるのです。

この働きのアプローチは、「オープンソース」、すなわち、どのパートナーも他のパートナーと持っているものを何でも分かち合うということです。そして生活を通して、御国の原則を実践するよう努めます。この本ではその方法を紹介していきます。

私たちの祈りは、一人ひとりがこの世と調子を合わせることなく信仰に生き、きよく正しく、神様に造られた存在として生きることです。パウロは、若いテモテに、次のような手紙を書いています。

「しかし、神の人よ。あなたは、これらのことを避け、正しさ、敬虔、信仰、愛、忍耐、柔和を熱心に求めなさい。信仰の戦いを勇敢に戦い、永遠のいのちを獲得しなさい。あなたはこのために召され、また、多くの証人たちの前でりっぱな告白をしました。」(Ⅰテモテ6:11~12)

「肉体の鍛錬もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。私たちはそのために労し、また苦心しているのです。それは、すべての人々、ことに信じる人々の救い主である、生ける神に望みを置いているからです。これらのことを命じ、また教えなさい。年が若いからといって、だれにも軽く見られないようにしなさい。かえって、ことばにも、態度にも、愛にも、信仰にも、純潔にも信者の模範になりなさい。私が行くまで、聖書の朗読と勧めと教えとに専念しなさい。」(Ⅰテモテ4:8~13)

スポーツ宣教は神様のなさる働きです。神様は収穫主であり、私たちは働き人です。ですから、自分自身ではなく、神様の目的と計画のために仕えています。上記のみことばは、この働きにおけるハートバリュー(中心的な価値観)です。スポーツを通して御国を建て上げていくために、神様と協働し、そしてお互いに連携していきましょう。

パウロは、みなが一致して働くことの必要性を述べています。大切なのは人ではなく、神様です。私たちはこの方の協力者であり、この方にお仕えするのです。

「アポロとは何でしょう。パウロとは何でしょう。あなたがたが信仰に入るために用いられたしもべであって、主がおのおのに授けられたとおりのことをしたのです。私が植えて、アポロが水を注ぎました。しかし、成長させたのは神です。それで、たいせつなのは、植える者でも水を注ぐ者でもありません。成長させてくださる神なのです。植える者と水を注ぐ者は、一つですが、それぞれ自分自身の働きに従って自分自身の報酬を受けるのです。私たちは神の協力者であり、あなたがたは神の畑、神の建物です。」(Ⅰコリント3:5~9)

この箇所は、働きの中心的な部分を表しています。一人ひとりがミニストリーや生活の中で、これを実行していくことを願っています。

「しかし主はサムエルに仰せられた。『彼の容貌や、背の高さを見てはならない。わたしは彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。』」(Ⅰサムエル16:7)

ハートバリュー(中心的な価値観)の背景にあるもの

この働きの中心には、「スポーツを通して、全世界でキリストの弟子を育てる」というビジョンがあります。そしてそれがなされるために、「スポーツを通して御国に仕えるため、パートナーとなる」という使命があります。
前述の表にある9つのハートバリュー(中心的な価値観)は、聖書のみことばに基づいたものです。私たちはこれらを、スポーツを通して表現していきます。スポーツとは、世界で性別や国、年齢を超えて、広く使われている主要な“言語”の一つなのです。

福音を宣べ伝える

ビジョンの核となるのは、福音を宣べ伝え、弟子をつくり、地域教会に仕えることです。

SnapCrab_NoName_2016-5-26_16-54-51_No-00神様と福音について知ることができるのは、聖書によってのみです。聖書には、神様を知る唯一の道はイエス・キリストであると書かれています。福音を宣言するということは、救い主であり、王であるイエス様を伝えるということです。神様と正しい関係を築けるのは、イエス様の死とよみがえりによる赦しによることであり、それはただ、神様の恵みです。

イエス様なしでは、私たちは永遠に神様と引き離されてしまいます。福音は、「イエス・キリスト」の名前にも表れています。「イエス」とは「神が救う」という意味で、「キリスト」は「油注がれた者」という意味です。イエス様は唯一の救い主であり、唯一の油注がれた王です。被造物は罪の呪のろいの中におり、イエス様だけがそれらを新しく造りかえることができるのです。ですから、福音はイエス様そのものです。スポーツを通し、この福音を伝えていくこと、それが私たちの働きの中心です。

弟子をつくる

福音を伝えることは、日々、自分自身を捨てるという弟子訓練であり、それは長期にわたるものです。福音を聞くことは始まりにすぎません。イエス様の命令は、福音を分かち合うだけではなく、全世界に弟子をつくることです。弟子となるということは、イエス様が歩まれた道を歩み、その教えを守るということです。また、イエス様の言葉を信頼し、従うことを意味します。そしてイエス様に倣い、他の人々を弟子とするのです。私たちはイエス様を模範にし、またパウロやテモテなどの弟子たちをモデルにします。多くの収穫と働き人の必要に対し、イエス様の解決策は何だったのでしょうか? 答えは、祈りであり、少数の人々を弟子とするということでした。イエス様は時には1人と会い、時には3人、あるいは12人かそれ以上の人々と会われました。そして長い時間をかけ、彼らを深く取り扱われたのです。それによって弟子たちは、忠実で信仰の強い者へと変えられていき、聖霊と共に、世界に変化をもたらす証人となったのです。

地域教会に仕える

教会とは、この世の生き方を捨てて御国の道へと導かれた信徒の集まりです。使徒たちは、御国を建て上げるというイエス様の使命を行うために、聖霊をいただいています(ヨハネ20:21~22)。神様がそうなさる理由は何でしょうか。「それは、天上のもろもろの支配者たちに対して、神の全家族――ユダヤ人も外国人も――が神の教会の中で一丸となっている姿を見せ、神様の完全な知恵を示すためです」(エペソ3:10 NIV翻訳者訳)。

教会はイエス様の花嫁であり、イエス様は花婿であると表現されています。教会に集う人々は、キリストのからだです(Ⅰコリント12:26~28)。イエス様は、ペテロが教会を建てるという重要な役割を果たす、と言われました。「あなたはペテロ(岩)です。わたしはこの大きな岩の上にわたしの教会を建てます。地獄のどんな恐ろしい力も、わたしの教会に打ち勝つことはできません」(マタイ16:18 NIV翻訳者訳)。教会やキリストのからだの成長に仕えることは、クリスチャン全員に求められています。教会は信徒の集まりであって、建物ではありません。様々な違いによって、多くの宗派が生まれましたが、聖書には教会は一つだと書かれています。この働きにおいて、私たちは教会に仕え、そしてパートナーとなり、一致することに努めます。イエス様は使徒たちのために、このように祈っておられるのです。「あなたが下さった栄光を、わたしは彼らに与えました。わたしたちが一つであるように、彼らも輝かしい一致を保ってほしかったからです」(ヨハネ17:22 NIV翻訳者訳)。

SnapCrab_NoName_2016-5-26_16-56-44_No-00教会の中には様々な役割があります。「さてこうして、ある者には使徒としての特別な能力が与えられ、ある者にはすぐれた説教者としての才能が与えられました。また、キリスト様を救い主として信じるようにと人々を指導する、特別な能力を受けた者もいれば、羊を見守る羊飼いのように、神の民となった人たちの世話をし、神様のお考えにそって導き教える力を受けた者もいます。なぜこのように、最善を尽くせる能力がそれぞれに与えられたのでしょうか。それは、神の民となった人々が、神様のためにより良く働けるよう整えられ、キリスト様のからだである教会を、力にあふれた、完成した状態へと建て上げるためです。そしてついに、私たちはみな、救いについて、また救い主である神の子について、同じ信仰を持つに至り、主にあって完全に成長した者となるのです。――そうです、キリスト様に完全に満たされた状態にまで、成長するのです」(エペソ4:11~13 NIV翻訳者訳)。すべての信徒たちが神様から賜物を与えられており、積極的にその役割を果たすという聖書の教えは大切です。私たちはみな祭司です。「しかし、あなたがたは、神様から選ばれた王なる祭司であり、きよい民として、神様のものとされた人たちです。それはすべて、どのようにして自分が、暗やみから神様のまばゆいばかりの光へと招き入れられたかを、人々に語り伝えるためなのです」(Ⅰペテロ2:9 NIV翻訳者訳)。そして教会全体の役割は、私たちが互いにみことばに忠実であり続けるようにすることです。教会を建て上げる、教会に仕えるということは、真実なイエス様のみことばを守り続けるという側面があります。そしてこれこそが、この働きの中心であり、教会、キリストのからだの成長をもたらすのです。

聖書のみことばに従う

9つのハートバリュー(中心的な価値観)は、聖書を絶対的な土台としています。聖書は、真実な神様の言葉です。ですから、この聖書の言葉に忠実に従うことに努めます。神様は聖書を通して、私たちに語りかけておられます。旧約聖書には人が造られた目的が示されており、新約聖書でイエス様によって、それが明らかにされます。「はるか昔、神様は幻や夢や、時には直接の語りかけなどの色々な方法で、預言者を通して先祖たちにご自分の計画を少しずつ明らかにされました。しかし今の時代には、ご自分のひとり息子を通して語っておられます。神様はその子にすべてを受け継がせ、彼によって、世界とその中のすべてのものをお造りになったのです」(ヘブル1:1~2 NIV翻訳者訳)。聖書の中心は、イエス様を通して語られた神様の計画です。

聖書は、イエス様の弟子として生きるためのハンドブックです。「あなたのみことばは、私の足のともしび、私の道の光です」(詩篇119:105)。それは、神様の計画が私たちの計画と異なること、そして、世にとらわれない生き方を教えてくれるものです。また、神様に聞き従わなかった人々への裁きと結末も書かれています。「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます」(ヘブル4:12)。

パウロがテモテへ宛てた手紙には、聖書に忠実に従うこと、そして聞いたことを実行することの重要性が記されており、私たちはそこから学ぶことができます。「けれどもあなたは、学んで確信したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、また、幼いころから聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです」(Ⅱテモテ3:14~17)。
聖書で最もすばらしいのは、神様の愛と恵みが示されていることです。初めから終わりまで、神様の愛と、その愛の行いが描かれています。神様は人間との関係を回復し、人間が神様の子どもとなれるようにしてくださいました。聖書は私たちに、この愛に満ちたすばらしい創造主と、どのように豊かな交わりの内に歩んでいくかを教えています。

スポーツの世界で、スポーツを通して

年齢や文化を問わず、スポーツは世界中の人々に愛されてきました。スポーツを楽しむことができるのは、神様が私たちにスポーツをする賜物、才能そして能力を与えてくださっているからです。しかし、スポーツもまた、罪によって汚れているので、贖(あがな)われる必要があるのです。それには神様の助けが必要です。

スポーツは多くの人々にとって生活の一部となり、その過ごし方や活動を形成してきました。私たちは、スポーツをする人々やその家族の必要に仕え、彼らが神様の計画されたように歩んでほしいと願っています。特に、一流のスポーツ選手たちは、ある特有の試練に遭うことがわかってきました。ですから、彼らに愛をもって仕えることが、働きの鍵となります。

スポーツは、すばらしい世界共通語です。それは楽しく、またチャレンジや激しい競争もあります。そして人間関係を重視するものです。スポーツは個々人の年齢や性別、背景を超えて、人々と関係を作るためにとても有効な手段です。そのため、伝道や弟子訓練、リーダー育成、そして教会開拓のための環境を作り出す助けとなるのです。

スポーツは、この働きに個性と強みを与えてくれます。例えば、チームスポーツの知識があると、ミニストリーにおいてチームの重要性を理解しやすくなります。たいてい強いチームは、お互いに仕え合い、一緒に働き、同じ目的を持って一致する努力をしています。そして、教会もこれを理解することで、信徒一人ひとりが自分たちの役割を果たすという聖書の教えを実行していくことができます。フィールドでは、選手一人ひとりが価値ある存在であり、平等に扱われます。スポーツはその人を全人格的に取り扱うのです。そのようにして、私たちはすべてを尽くして神様を愛し、仕え、弟子として歩むようになっていくことができます。

すべての国と町で

「すべての国と町で」というビジョンは、マタイ28章にある大宣教命令を表したものです。これは、世界中の大都市でも小さな町でも、島でもジャングルでも、村でも難民キャンプでも、すべての人々に影響を与えていくというビジョンです。神様はひとり子イエス様をお与えになったほどに、この世を愛されました。私たちは、弟子を育て、弟子がまた他の弟子を育てていくことを願っています。そのようにして、御国がすべての世界に及んでいくのです。

また、このハートバリュー(中心的な価値観)のもう一つの大切な理解は、私たちの国籍は天にあるということです。「けれども、私たちの国籍は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主としておいでになるのを、私たちは待ち望んでいます」(ピリピ3:20)。「あなたがたはみな、キリスト・イエスに対する信仰によって、神の子どもです。バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです」(ガラテヤ3:26~28)。

人々がこの永遠のいのちと希望をいただくことができるよう、私たちはどこにおいても弟子を育てていくのです。

しもべとして生きる

SnapCrab_NoName_2016-5-26_16-59-30_No-00この働きの基本は、謙遜に仕える姿勢です。人を導くということは、仕えるということです。私たちの主であるイエス様は、仕えるリーダーシップ(サーバントリーダーシップ)の模範を見せてくださいました。マタイ20:25~28は、これを説明しています。「そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、言われた。『あなたがたも知っているとおり、異邦人の支配者たちは彼らを支配し、偉い人たちは彼らの上に権力をふるいます。あなたがたの間では、そうではありません。あなたがたの間で偉くなりたいと思う者は、みなに仕える者になりなさい。あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、あなたがたのしもべになりなさい。人の子が来たのが、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためであるのと同じです』」。イエス様の弟子となるということは、イエス様が歩まれたように生きることです。「イエスは、みなの者に言われた。『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい』」(ルカ9:23)。

弟子たちはイエス様にすべてをささげました。私たちは自分自身の欲に死に、イエス様に従う者として歩んでいます。ですから、自我を満足させるような決断はしません。そこには日々、格闘や戦いがあります。「こうして、律法は私たちをキリストへ導くための私たちの養育係となりました。私たちが信仰によって義と認められるためなのです」(ガラテヤ3:24)。しかし、私たちが聖霊に導かれて仕える時、生活の中で御霊の実を結んでいくのです。「信仰が現れる以前には、私たちは律法の監督の下に置かれ、閉じ込められていましたが、それは、やがて示される信仰が得られるためでした」(ガラテヤ3:23)。

仕える姿勢は、教会や団体にまで及びます。私たちは互いに仕え合い、また他の人を自分より優れた者だと考えます。例えば、この働きで作っている資料や教材の多くは、ロゴや名前を入れていません。なぜなら、これは人々の祝福のために仕える働きだからです。彼らが成功し、建て上げられ、リーダーとなっていくために、私たちは仕えるのです。

チームで働く

私たちは、ミニストリー、生活、信仰に関して聖書が命じていることはすべて、人間関係に基礎があると信じます。スポーツ伝道においても、人々がチームとして働くことが大切です。フラットな体制、つまり異なる役割と賜物を持ちながら、みな平等であり、同じ目的に仕えていきます。互いに信頼し、愛し、仕えることを土台としたチームとして働くのです。一人ひとりの能力(ability)よりも、神様の召しを行うために役立つこと(availability)の方が重要です。また、私たちはひとつのからだです。Ⅰコリント12章は、そのことをはっきりと示しています。「確かに、からだはただ一つの器官ではなく、多くの器官から成っています。……もし、からだ全体が目であったら、どこで聞くのでしょう。もし、からだ全体が聞くところであったら、どこでかぐのでしょう。しかしこのとおり、神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。……かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。」

Ⅰコリント8章にあるように、チームは、弱さや困難を抱える人々を助けながら、より大きな奉仕ができるよう、互いに励まし合います。「鉄は鉄によってとがれ、人はその友によってとがれる」(箴言27:17)。「また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか」(へブル10:24~25)。私たちは互いに、聖書の真実と神様の御心に生きるということにおいて責任を持つのです。そして神様に仕えるのと同様に、チームに仕えるためにプライドと自我を明け渡さなければなりません。

三位一体の神様は、完璧なチームワークの究極的な象徴です。このことについて、イエス様はヨハネ17:20~21で教えています。「わたしは、ただこの人々のためだけでなく、彼らのことばによってわたしを信じる人々のためにもお願いします。それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。」
大宣教命令に従うために最も良い方法は、チームで働くことです。チームとは、弟子たちの集まりです。そして、そのチームは次々と同じようなチームを生み出していく必要があります。チームがチームを育てていくのです。

パートナーシップ(協力関係)を築く

チームの全体像は、良いパートナーシップを構築しようとする過程に見ることができます。キリストのからだは、何よりもすばらしい「チーム」です。そして、イエス様に従う地域教会、小さなチーム、活動、組織などの一つひとつは、そのキリストのからだの一部なのです。エペソ4章で説明されているように、それぞれの部分は全体のために仕えます。「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。からだは一つ、御霊は一つです。あなたがたが召されたとき、召しのもたらした望みが一つであったのと同じです。主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのもののうちにおられる、すべてのものの父なる神は一つです。」そして、牧師や教師の仕事は「……聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げる」ことです。キリストのからだは、ただ一つです。そしてパートナーシップの目標は、そのからだを建て上げることなのです。

詩篇133篇は神様の民の都上りの歌ですが、このことを生き生きと美しく描いています。

「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。それは頭の上にそそがれた尊い油のようだ。それはひげに、アロンのひげに流れてその衣のえりにまで流れしたたる。それはまたシオンの山々におりるヘルモンの露にも似ている。主がそこにとこしえのいのちの祝福を命じられたからである。」

パートナーシップを建て上げること、特に地域においてそれを実践することは、面倒で、複雑で、うんざりする、実に骨の折れる仕事です。ヨハネ17章で、イエス様はすべての信徒のために祈られました。それは、大きな戦略のための祈りでも、大宣教命令が成功するようにとの祈りでもありません。むしろ私たちが一つとなるために、イエス様は祈られたのです。Ⅰコリント12章は、パウロがキリストのからだの働きについて書いた章です。彼はこれに続き、愛の章と呼ばれる13章を書き進めています。なぜでしょうか? それは、キリストのからだとして共に歩むためには、私たちの想像をはるかに超えるような愛と忍耐、そして慎みが必要だからです。

私たちは、人々やグループ、教会が協力して共に働くことを助けます。そうして、人々が共に祈り、神様を求めるよう促します。上下関係や力関係によらない、丸テーブルを囲むように対等で自由な働きが大切です。これによってパートナーシップは成長し、発展していきす。また、新しく加わる人たちは、気軽に出入りしやすくなります。資格や年齢、肩書きや地位は関係ありません。仕える者として働き、喜んで与え、他の人たちを建て上げることが重要です。なるべく肩書きを使わないようにし、むしろ聖書の言葉や役割を用いるようにします。すばらしいパートナーシップは、信頼関係、一つのビジョン、明確なプロセス、共同作業につきものの複雑さへの理解、敬虔さに基づく意見の一致、そしてお互いの良さを引き出し合うような関係が土台にあるのです。

働きに反映される徳目

私たちはこれまで、聖書のメッセージを実現し、また私たちの歩みにおいて御霊の実を結ぶことに努めてきました。以下は、この働きで特に重要な徳目です。

情熱、権限委譲、聖さ、誠実、管理責任、創造性、謙遜、支え合う、多様性

それぞれのハートバリュー(中心的な価値観)と、どのように関連しているかは、3ページの表の通りです。これらがあなたの人生やミニストリーにどのように大きな影響を与えるか、考えてみましょう。

情熱

何をするにも、心も、魂も、思いも、力も、喜んで神様に最善をささげます。そして、すべてのことを情熱を持って行います。「あなたの手もとにあるなすべきことはみな、自分の力でしなさい」(伝道9:10)。「何によらず手をつけたことは熱心にするがよい」(コヘレトの言葉9:10 新共同訳)。そして、「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい」(Ⅰコリント10:31)。「神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です」(Ⅱテモテ1:7)。

権限委譲

どんな犠牲を払おうと、喜んで他の人々を建て上げ、彼らが最高の存在となるよう助けます。彼らが自分たちよりも優れた者となることをも助けていく、それが弟子を育成する方法です。「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。自分のことだけではなく、他の人のことも顧みなさい」(ピリピ2:3~4)。

聖さ

聖いお方である神様に、精一杯従っていきます。私たちは罪人であり、これからも罪を犯してしまう弱い者ですが、日々イエス様に似た者となるよう努めるのです。「従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行いにおいて聖なるものとされなさい。それは、『わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない』と書いてあるからです」(Ⅰペテロ1:14~16)。

誠実

神様に仕えるということは、一貫して真摯しんしで、正直で忠実であることが必要です。ですから私たちは、何をするにも互いに包み隠すことなく、神様の前に誠実を尽くし、正直であるように努めます。また、聖書を細心の注意を払って用い、自分の都合で勝手な解釈をすることなく、しっかりと語りかけを聞くよう努めます。テモテに宛てて書かれたパウロの手紙は、特に聖書のみことばを正しく用いるよう勧めています。

「あなたは、キリスト・イエスにある信仰と愛をもって、私から聞いた健全なことばを手本にしなさい。そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」(Ⅱテモテ1:13~14)

「あなたは熟練した者、すなわち、真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神にささげるよう、努め励みなさい。」(Ⅱテモテ2:15)

管理責任

私たちのいのち、住む世界、そしてすべてのものは神様からの贈り物です。ですから、神様が託してくださった恵みの良き管理者であるよう努めます。スポーツ界において、私たちには特別な役割があります。それは、イエス様の愛によってスポーツ界を贖うため、すべての機会の良い管理者となることです。
とりわけ、神様が託してくださった経済的な財源について、どこまでも正直で透明性を重んじることが大切です。すべてにおいてお金は必要です。しかし、働きを推し進めるのはお金ではなく、神様が召してくださったことへの真摯な従順です。私たちが持っているお金は、神様から与えられたものです。持てるものはすべて、神様のものなのです。「金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは、金を追い求めたために、信仰から迷い出て、非常な苦痛をもって自分を刺し通しました」(Ⅰテモテ6:10)。そして、神様の恵みに対する管理責任は、あらゆることに適用されます。Ⅰペテロ4:7~11は、次のように語っています。「……ですから、祈りのために、心を整え身を慎みなさい。何よりもまず、互いに熱心に愛し合いなさい。愛は多くの罪をおおうからです。つぶやかないで、互いに親切にもてなし合いなさい。それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。語る人があれば、神のことばにふさわしく語り、奉仕する人があれば、神が豊かに備えてくださる力によって、それにふさわしく奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して神があがめられるためです。栄光と支配が世々限りなくキリストにありますように。アーメン。」

創造性

私たちは、唯一で真の創造者、全世界を創造された父なる神様に仕えています。人間の「創造性」は、神様がすでになされたことを受けて、それを新しいパターンやアイデアへと再びアレンジすることです。これは御国の働きにおいて、とても重要です。なぜなら、それは神様ご自身の知恵と考えを用いることとなるからです。単に、これまでなされてきたことを繰り返すのではなく、この創造性を駆使して、新しく時代にふさわしい活動をなし続けることができます。神様の憐れみは「朝ごとに新しい」(哀歌3:23)とあります。
またイエス様は、父なる神様が何を、どのように語るべきかを教えてくださるとおっしゃっています(ヨハネ12:49)。パウロは使徒17章において、聴衆の心をとらえるためにふさわしい説明ができるよう、アテネの市街を歩き回りました。また、イエス様は優れた語り手であり解説者でした。私たちは、創造性という賜物を用いて、人々とつながる方法を探し、スポーツ界に仕え、福音のメッセージを朝ごとに新しく受け取るのです。福音は決して変わることはありませんが、方法は変わります。

私たちの最大の働きは、単なる創造ではなく「再創造」であり、神様の再創造と和解の働きに参加することです。「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ……和解のことばを私たちにゆだねられたのです」(Ⅱコリント5:17~19)。

謙遜

イエス様に従い、イエス様と隣人に仕える上で、いつも大切なのは謙遜であることです。「それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました」(ピリピ2:5~8)。「それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい」(コロサイ3:12)。

支え合う

チームとして共に手を携えて働いていくには、互いに頼り合うということが必要です。イエス様の召しに従順な者となるために、お互いが必要なのです。私たちは一つのからだです。その一部が苦しめば、みなが苦しみ、成功する時には、みなが成功するのです。ある調査によると、新約聖書の書簡の44%は、どのようにして互いに関係を築いていくかについて書かれています。私たちは互いに愛し、尽くし、尊敬し、共に調和し、建て上げ、志を一つにし、受け入れ、訓戒し、ケアし、仕え、重荷を負い、赦し、忍耐し、親切で憐れみ深くあるようにと命じられているのです。そして、賛美をもって語り合い、従い、関心を向け、耐え、教え、慰め、励まし、刺激を与え、もてなし、へりくだり、祈り、罪を言い表すように命じられています。私たちは互いが必要な存在なのです!

多様性

キリストのからだを建て上げるために、神様はご自分の民である私たち一人ひとりに賜物を与えてくださっています。また、それぞれの国や町も、互いにキリストのからだを建て上げ、仕えていくために、異なる賜物、経験、視点が与えられているのです。地域的に、国家的に、また世界規模で、そうした多様性から私たちは多くの恩恵を受けています。スポーツミニストリーの働きは様々な場所で発展してきましたが、それらの方策の中に、この多様性によるすばらしい恩恵を見ることができます。私たちは、キリストのからだにおける、多様な賜物、様式、経験を、より一層喜び、尊重し、育てていきます。

SnapCrab_NoName_2016-5-26_17-6-20_No-00